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バリフライトツァー2006年6月-7月

Issue 2006.07.09

2006年6月26日   27日  28日  29日  30日  7月1日  2日  3日  4日  5日   6日  7日  8日  9日 

2006.06.26(月)
5月31日で定年退職して、その後も嘱託社員として勤務を続けている。退職旅行として、また、バリへのフライト旅行に向かう。
前日は、遅番勤務、眠い目をこすりながら、朝、6時半に起床した。暫く留守にするので、犬の散歩をいつもより長いコースを歩いた。小雨が降っていたが、傘をささなくても平気だった。忘れ物がないか最終確認して、8時半に車で家を出た。

高速道路は、空いていて約1時間でいつものパーキングに着いた。今回は、インターネットで予約していたので、既に書類は作られていた。14日分の駐車料金は、インターネット割引もあって、たったの4410円。5分後には、空港ビルまでの送迎バスに乗った。

第二ターミナルも少し模様替えした感じがする。JALの女性係員が「Lが空いていますのでどうぞ」と案内してくれた。Lカウンターは、一番端にある。カートを押して行くと、声をかけられた。以前、羽田に勤務していた関連会社支社長のM氏だ。現在は、成田空港の関連会社の要職にある。久しぶりの再会に嬉しくなって10分ほど立ち話をした。

搭乗手続きは、すんなりと終わった。受託手荷物を計量したら、23Kgだ。「もう少し大丈夫ですが・・・」と言ってくれた。しかし、バリオ等の計器類を載せたら28Kgになってしまった。仕方なく、当初の予定どおりハンドキャリーにした。

検査ゲートもすんなりと通過、出国手続きも短時間で済んだ。お土産にジョニ黒のミニボトルを購入、カードで割り引いて貰った。
搭乗口の61番ゲートに着いたら、まだ、1時間以上も時間があった。ソファに腰掛けて、家族や友人に携帯メールを送ったりして時間を待った。外は、冷たい雨が降り続いている。そう言えば、前回も、出発の時、成田は雨が降っていた。帰国の時も雨、雨の成田が多いなあ。

定刻出発と表示されていたが・・・ 冷たい雨の成田空港 この飛行機は、ニューヨーク行きだ

JL725便の出発は、11時25分だ。国際線の場合、通常30分前から搭乗開始される。10時55分に女性係員が案内の放送をした。
「機内オーディオ、ビデオシステムに不具合があり、現在、整備をしております。出発が遅れる見込みです」待っていたお客様がザワザワし始めた。待合室は、満席旅客の数のソファは設備していない。立って待っている人もいる。不満を訴える人もいた。

少ししたら、年配の男性がマイクを持った。「客室乗務員の責任者でございます。本日は、お急ぎのところ、まことに申し訳ございません。当便は、フライトには支障がありませんが、皆様が長いフライト中にお楽しみいただけるビデオ、オーディオシステムのハードディスクにエラーがありまして、現在、整備担当者がハードディスクサーバーを交換しております。交換後にソフトウェアののインストールが必要となりますので、皆様の飛行機へのご案内は、今少しかかる見込みでございます。出発が遅れますが、幸いのことに風の状態が良い為に、次の到着地ジャカルタへは定時か少し早く到着出来る見込みでございます」と分かり易いアナウンスがあった。そのアナウンスを聞いた旅客の間から「仕方ないわねえ」と諦めの声も聞かれた。しかし、文句を言う人は出ず、平穏に待っている人が大半だった。

11時40分にボーディングが始まった。満席に近かったが、短時間でボーディングが終わり、50分遅れで出発した。私は、最後方のコンパートメントの最前列、非常口座席だった。隣りに若い男性が二人「よろしくお願いします」と挨拶したが、反応が無い。日本人ではないのか?。英語で「日本人じゃないのですか?」「インドネシアです」「マハム、スラマソレ」と言ったら笑顔で「ソレ」と返してくれた。私が知っているインドネシア語はごく僅か、それ以降の会話は、英語でした。彼らは、アメリカで勉強していて、ジャカルタに一時帰国だそうだ。成田はトランジットだと言う。疲れた様子に納得した。

非常口と客室乗務員のジャンプシート ギャレー SAMURAI BLUEのペーパーカップ

非常口座席のすぐ前に客室乗務員の座席がある。折りたたみの座席は、「ジャンプシート」と言う。この便は、JALWAYSとJALの共同運航便で、客室乗務員は、JALWAYSの社員だ。日本人とタイ人の混成チームだ。私のすぐ前に座ったタイ人のCAは、とても笑顔が素敵な人だ。乗務員の紹介のアナウンスの時、日本人CAは、おじぎしたが、二人のタイ人CAは、手を両手に合わせた。私も顔の前に両手を合わせた。それを見た3人のCAは、私に向かって最高の笑顔をくれた。この行為がきっかけか、3人共、私に何度も声をかけてくれた。

ウェルカムドリンクは、まだ、昼なのにビールを戴き、飲み終わったら「お代わりは如何ですか?」「では、赤ワインをお願いします」と、まだ昼食も来ないのに、赤ワインを楽しんだ。昼食を食べながら2本目の赤ワインを戴き、それも、飲み干したら「お代わりは?」と聞いてくれた。遠慮しないで、3本目を戴いた。ワインの味よりも、CAの笑顔が私の気持ちを満足させた。

食事後、ビデオを観た。「明日の記憶」最近、話題となった映画だ。若年生アルツハイマー病に冒された主人公と家族の苦難が描かれていた。最後まで観て後悔した。悲しい物語で涙が溢れたからだ。楽しいバリ旅行のスタートに観るべき映画ではなかったような気がする。でも、感動した。涙が溢れそうな私にタイ人のCAは、「なにかお飲み物でも・・・」と声をかけてくれた。スカイタイムを貰った。甘酸っぱい液体が私の喉から手が出る通過して、少し、楽になった。

隣の二人の若者は、疲れが出たのかぐっすり眠っている。私も少し眠った。ジャカルタ空港へは、客室責任者が言ったとおり、少し早く着陸した。燃料補給、機内清掃の間、デンパサールまでの旅客は、一旦、空港ビルに入り、待つことになる。前回も、ジャカルタ経由だったので、要領は、分かっている。さっさとトランジットルームへ行き、ソファに座った。出発準備が整い、ジャカルタを定時に出発した。

バリ・デンパサール空港への到着は、スケジュールより早く、20時40分に着いた。ビザの取得、入国手続き、税関手続きといつものコースを順調に進んだ。出口にカートを押して行ったら、手を振っている美人がいる。私の顔を見て笑顔で手を振っている。なんとぷーたさんの奥様の真理さんだ。

ぷーたさんは、インシデントがあり、来られないとのこと。ドライバー付きのレンタカーで迎えに来てくれたのだ。ありがたい。
かなりのスピードでいつものリタホテルには、早く着いた。

真理さんがぷーたさんに電話で、無事到着を告げていたら、これからぷーたさんがホテルに挨拶に来ると言う。明日でも良いのに・・・。約2ケ月ぶりの再会だ。いつもの優しい笑顔のぷーたさんと握手した時、「ああ、バリに来たんだなあ」と実感した。

少しばかりのお土産のジョニ黒ミニボトルを渡し、明日、の予定を打ち合わせして別れた。長い一日の移動日が終わった。

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